【社会は75年で一周する】
2010年。我々の社会は間もなくモデルチェンジの時期を迎える。75年±5年に一度、社会はマイナーチェンジにより一新される。マイナーチェンジを2、3回繰り返すと、フルモデルチェンジとなる。

今から70年前は昭和15年。太平洋戦争開始の前年である。

その75年前は1865年。明治維新の3年前である。

その75年前は1790年。江戸の三大改革のひとつ、寛政の改革の時代である。

その75年前は1715年。同じく享保の改革の時代である。

その75年前は1640年。三代将軍家光が江戸幕府の統治機構を定め、人心を収攬し、本格的に江戸時代が始まった。

その70年前は1570年。織田信長が長い戦乱の時代に終止符を打った。

まだまださかのぼることができる。

我々は、社会には節目があることを思い出し、今がまさにその時であることを肝に銘じなければならない。そして、できることなら、変動による不幸を最小限に留めるように、努力をするべきである。


【情報化社会から情報社会へ。そして知識社会の到来】
20世紀後半は情報社会であった。人間とコンピュータのマッチング。パソコン一人一台、そしてブロードバンドの世帯普及。かつての自動車のように、パソコンは行き渡った。

情報社会の役割は、情報の行き交う『基盤』を作るところにあった。物資=データ、車両=パソコン、道路=ブロードバンド、運転手=ユーザーである。物資はすべて電子化されていなければならない。電子化するだけで、仕事になった。みんな、こぞって文書やデータを電子化した。

今や、すべてのデータはストレージに入っている。物資は整った。車両の運転方法も覚えた。みんなが走るようになり、路上での振る舞い方=交通ルールも次第にできてきた。何よりも、道路がほぼ完璧に整備された。道路(インターネット)も車(コンピュータ)も、もうできた。情報社会は既に終わったのだ。

今は、情報社会である。道路は、その上を走ることが目的で作られるのではない。その道路を使って目的の場所に行くために利用するのが第一義だ。情報社会では、情報をたくさん集めて、整理できる者が勝つ。情報が整理され、洗練され、有用な形となったものを、知識と呼ぶ。間もなく知識社会がやって来る。


【情報社会を生き抜くには】
では、我々が現在属している社会は、どのようなものだろうか。上で情報社会と呼んだが、基本的には工業社会の末期である。明治以来、物質を製品に変え、流通させ、あまねく人々に行き渡らせ、暮らしが便利になるように、先進国の人間は努力した。そして、行き渡った。充分、便利になった。

工業社会のキーワードは、「効率」だ。まず目的があり、そこに到達するための最適な手段を導き出す。規格化・標準化による大量生産こそが、工業製品のコストを下げ、あまねく行き渡らせるための最適解だった。工業製品が売れ経済が発展することが至上命令とされ、人間も同様に、規格化・標準化された。工業社会では、人間が均質化すればするほど、人間の運用が楽になり、利益が上がった。

学校という制度も、明治時代に、工業社会に向けて国家が作り出したものである。

現在、企業はどうにかして人々の需要を喚起しようと必死だが、よっぽどのものでない限り、もはや人々は買おうとはしない。もう、充分、便利になったのだ。それでも企業は今までのやり方でやろうとする。毎日毎日、理不尽な努力、不必要な緊張を社員に強いる。

人は、豊かになると、違うことを考え始める。曰く、人生って何だろう・・?幸せって、何だろう・・?

工業社会での幸せは、規格化・標準化の中で一番を取ることだった。いい大学を出て、いい会社に入って、出世する。その価値観は一元的で、右肩上がり、未来がある状況では通用した。新しいものが次々に登場し、生活が激変する中では、工業社会のありがたみが実感できた。昭和25年から55年までの30年間で、何もかも変わった。しかし昭和55年から現在までの30年間で、何か劇的に変わったものはあるだろうか。コンピュータが普及したくらいで、他は特に変わっていないのではないだろうか。

もう、ある一定の基準を満たしてしまったのだ。

我々は現在、工業社会と知識社会の橋渡しとしての情報社会を生きている。もう、どこに行っても同じような光景に出くわす工業社会とも、お別れする時期が近づいている。とは言っても、工業社会でも農業が無くならなかったように、知識社会でも工業は無くならない。ただし、勝つのは、知識を手にすることができる者である。

繰り返すが、知識は、情報の洗練という形でもたらされる。

以上のような概略で、知識社会の到来を前提に、情報社会を生き抜く人材の育成を目的とし、我々はここにセレンディップの設立を宣言する。

<了>

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